263

父なる神が子供たちにお委ねになった、救いのわざに参加するという人間的、超自然的可能性について、いつも話して来ました。同じ考えが、教会の教父たちの文献にも見受けられることを、私は非常に喜んでいます。大聖グレゴリオは次のようにはっきりと教えています。「人の心から悪を取り除いて善を勧めるとき、キリスト信者は毒蛇を追い払う。善行を実行しなくなる人を見たとき、模範を示しつつ色々な方法で助けるなら、そのとき信者は、病を癒す按手を授けることになる。このような奇跡は、身体にではなく霊的な面で、つまり霊魂に生命をもたらすとき、一層偉大な奇跡となる。あなたたちも、諦めさえしなければ神の助けによって偉大な奇跡を行うことができるだろう」20。

神はすべての人の救いを望んでおられます。この神の望みは一人ひとりが担うべき責任であり、責任を担えという招きです。教会とは、特に恵まれた人々のためのお城ではありません。「この偉大な教会は、地上の一角しか占めないのだろうか。もはやそうではない。世界全体が偉大な教会である」21。聖アウグスチヌスはこのように述べ、さらに付け加えています。「あなたがどこに行こうとも、そこにキリストがおいでになる。あなたは遺産として地の果てまでも有している。行きなさい、私と共にすべてを所有しなさい」22と。網はどのようになっていたかを憶えていますか。溢れるほどたくさんの魚が入っていました。神はご自身の家がいっぱいになる23ことを切に願っておられます。神は私たちの父ですから、子供たち全員に取り巻かれることをお望みです。

聖書への参照
この点を別の言語で