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祈りを軌道に乗せるために、私は、もっとも霊的なことでも具体的な物に託すことにしています。この方法はどなたかに役立つかもしれません。私たちの主はこの方法をお使いになりました。主は好んで自分を取り巻く実生活にヒントを求め、そこから得た話を使って、人々にお教えになったのです。羊飼いと羊の群れ、ぶどうの木とその枝、舟と網、種蒔き人が気前よく蒔く種の話など。

私の心に神の言葉が<落ち>ました。この言葉のために、どのような土地を用意したのでしょう。石だらけの土地、生い繁った茨で覆われた土地、あるいは、元気なくあまりに人間的で、こせこせと足踏みされて過度に踏み固められた土地でしょうか。主よ、私の畑が、寛大に光と雨を受け入れ、肥沃な良い土地になりますように。あなたの蒔かれた種がしっかりと根をおろし、ふさふさとした穂を垂れる良質の小麦を実らせることができますように。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」30。九月が訪れ、生気ある細長い節だらけの枝を四方にのばしたぶどうの幹は、そのしなやかな枝もたわわに無数の実をならせ、摘み手を待っています。幹につながっていて樹液を受けるからこそ、枝は生き生きとしている。そうしてこそ枝は、二、三ヶ月前には小さな蕾にすぎなかったものを、人の目や心を楽しませる甘く熟した果実31に変えることができたのです。木の根元には枯れた枝が散らばっているかもしれません。それらも以前は生きた枝だったのですが、水分を失い枯れてしまったのです。これほど分かりやすい不毛の象徴はないでしょう。「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」32というわけです。

宝物。宝を見つけるという幸運に恵まれた人の喜びようを想像してごらんなさい。経済的な問題も悩みも吹っ飛んでしまい、持ち物をすべて売り払って、宝の埋まっている畑を買います。心は宝のありかを思って喜びでいっぱいになる33。私たちの宝はキリストです。ですから、主に従うための邪魔になるものすべてを捨て去ることも厭いません。不要な底荷を捨てた船は、一直線に神の愛という安全な港に向かって航海を続けることでしょう。

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