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私はあまりにも罪深い人間だから主は耳を貸してくださらない、とでも思うのですか。そんなことはありません。主は憐れみの泉です。万一、このように素晴らしい事実を考えてもなお自分の惨さを痛感するのなら、あの徴税人を真似ましょう28。「主よ、ご覧ください。わたしはここにおります」。そして、人々がイエスの前に中風の人を運んできたときの情景を心に描きなさい。聖マタイの話に注目してみましょう。あの病人はひと言も口にしません。ただ、そこ、神のみ前にいるだけです。それに対しキリストは、病人の痛悔の心と功徳もない自らを悔やむ病人の心に動かされ、すぐに、いつもの憐れみをお示しになりました。「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」29と。

あなたに助言したいと思います。祈りの中で、福音書の色々な場面に、登場人物の一人となって入り込みなさい。まず、心を静め、黙想に役立ちそうな場面や秘義を頭に浮かべる。次に、想像力を働かせて主の生活の具体的な一面を考える。たとえば、とても優しい主の聖心、主の謙遜、主の純潔、御父のみ旨への従順など。そうしてから、その点について自分の場合はどうなのか、いつもはどんなことが起こるのか、また今はどうなのかを主にお話ししなさい。そして、よく注意して耳を澄ましましょう。主は何かを教えようとしておられるかもしれません。まもなく、内的な神の呼びかけを耳にし、今まで分からなかった点に気づき、痛悔の心が湧き上がることでしょう。

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