25

大天使はいと高き御者の計画を聖マリアに告げました。その荘厳な瞬間について考えてみましょう。私たちの御母はまず耳を傾け、次いで、主の要求をさらに深く理解するために質問なさいます。その後、はっきりと、「なれかし」8、お言葉の通りにこの身になりますように、とお答えになりました。これこそ神に自らを捧げる決意です。最高の自由をもつ人の返事です。

 カトリック信仰の秘義のいずれをみても、このように自由を称えています。至聖なる三位一体は、尽きることのない豊かなみ心の愛を注ぎ、世界と人類を創造されました。<みことば>は天よりくだり、人間の体をおとりになりましたが、それはご自分の自由を御父の意志の中に見事に封じ込めることによってでありました。「わたしについて巻き物に記されているとおり、神よ、わたしはあなたのみ旨を行うために来た」9。人間を罪の状態から救い出すために、神がお定めになった時が訪れたのです。ゲッセマニの園で血の汗を流すほど苦しむ10イエス、しかし最後には、御父の望みどおりの<いけにえ>として、心静かに、自発的に自らを捧げ、「屠所に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように」11、素直にみ旨に従うイエスを黙想しましょう。主は聖心を開いてお話しになり、ご自分こそ御父に近づくための唯一の道であることを弟子たちに教えられましたが、そのときすでに受難を予告しておかれました。「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」12。

この点を別の言語で