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祈りについて話すのが億劫になったことはなく、これからも神の恩寵の助けを受けて決して面倒に思うことはないと思いますが、とにかく一九三〇年頃からずっと、当時若輩司祭であった私に近づいてきたあらゆる社会層の人々、(もっと神に近づきたいと努力していた)大学生や労働者、健康な人や病気の人、富める人や貧しい人、司祭や信徒の方々に、常に祈りなさい、勧めてきました。祈りを始めるにはどうすればよいのか分からない人には、まず神のみ前にいることを考え、続いて、主よ、どのようにして祈ればよいのか分かりませんと、心にかかる不安や苦しみを、ありのまま主に申し上げるよう勧めたものです。たいていの場合、このような謙遜な打ち明け話のうちから、キリストとの親しさ、キリストとの親しく深い交わりが生まれました。

それから幾歳月もが過ぎましたが、今もこれ以外の処方箋はないと確信しています。祈りの準備ができていないと感じるときには、弟子たちのように主に近づいて申し上げましょう。「祈り方を教えてください」18と。そうすれば、「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せない」、つまり、適切な言葉で表現できない「うめきをもって執り成してくださる」19ことがよく理解できるでしょう。神の言葉にすがれば、何と形容してよいか分からないほど強い力を得ることができます。司祭になってこのかた、今述べた勧めを幾度も繰り返してきましたが、これは私が考え出した勧めではなく、聖書に学び、聖書から得た教えです。主よ、どのようにしてあなたに近づけばよいのでしょうか、祈り方を教えてください、とお願いします。すると、聖霊の光と火と激しい風、つまり愛に溢れた助けが与えられ、心に愛の炎が燃え立ってくるのです。

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