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何に希望するのか

ひょっとすると、一人ならず自問する人があるかも知れません。キリスト者はいったい、何を希望しなければならないのだろう。懸命になって愛と幸福を追求する心に、この世はたくさんの快いことを与えてくれるではないか。それだけでなく、私たちは平和と喜びを惜しみなく<撒き散らし>たい。自分だけうまくいっても満足することはできず、周りの人々皆を幸福にしたいのだと。

 一応立派そうではあるが薄っぺらな見方で、儚くも消えゆく理想のみを追い求め、キリスト者の夢が最上の高み、つまり、永遠を目指していることを忘れている人があるのは残念なことです。私たちは、神の愛そのものが欲しい、終わることのない喜びをもって神を堪能したいと思っています。この世の事柄はすべて、世の終わりの到来と共に消え去ってしまう。このことは色々な経験で確認済みです。一人ひとりの人間にとってみれば、世の終わりを待つまでもなく、死とともにすべては過ぎ去ります。富も栄誉も墓まではついて来てくれません。だからこそ、希望の翼に乗って、心を神に上げて祈ることができるようになるのです。「主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によってわたしを助けてください」8。主よ、あなたに希望を託します。今も、いつも、世々に至るまで、あなたの御手でわたしをお導きください。

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