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ずいぶん昔のことになりますが、そのころ日毎に深まっていた確信を次のように書き記しました。「万事をイエスに希望しなさい。あなたは何も持たず、何の値うちもなく、何もできない。主にすべてをお任せするなら、主がすべてを成し遂げてくださるだろう」1。 それからかなりの年月が経ちましたが、この確信はますます強まり、一層深くなるばかりです。道を歩んでゆく間には、苦しみ、それも時には大変な苦しみに遭うことがあるでしょう。けれども、そのような時でさえ、神に希望をおくなら、がっかりして力を落とすことなく、かえって素晴らしい愛の火を燃え立たせ、生き生きとした生活が送れることを、大勢の人々の生き方の中に垣間見てきました。

 ミサの書簡を朗読して、心を強く揺り動かされました。皆さん方も同じように感動したことと思います。神が使徒の言葉を使って教えてくださったおかげで、三つの対神徳が神的な骨組みをどのようにして作り上げているかを黙想することができます。この三つの対神徳こそ、正に、キリスト者の真の生活を打ち建てる屋台骨なのです。

 もう一度、聖パウロの言葉に耳を傾けてみましょう。「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」2。

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