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努めて謙遜の徳を育てましょう。謙遜な信仰があればこそ超自然的な物の見方ができます。これ以外に方法はありません。この世での生き方には二通りしかない。超自然的な生き方をするか、動物的な生き方をするか。ところで私たちには、超自然的な生活、神的な生活を送る以外の生き方はありえません。「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」23。この地上に住まう生き物も、知性や意志が抱く大きな望みも、いったい何の役に立つでしょう。すべてに終わりがあり、すべては崩れ去る。この世の富といえども舞台の書割に過ぎません。ところが後の世は、いつまでもいつまでも、永遠に続きます。この世の事物にどれほどの価値があるというのでしょう。

 イエスのテレジアは、<永遠に>という言葉のおかげで、大聖テレジアになりました。幼いときテレジアは、アダハと称される城壁の門を通って、キリストのために、兄のロドリゴと共に首を刎ねてもらおうとムーア人の土地へと出かけて行きます。疲れた兄に向かって、<永遠に、永遠に>と囁きながら24。

 現世の事柄について永遠という言葉を使えば、嘘をつくことになります。神に向かつつ永遠と言ってはじめて、嘘偽りのない真理を述べることになるからです。あなたもこのように信仰の助けを借りて、蜜の味と天国の甘美を味わいながら、真の意味の永遠を考える毎日を送らなければなりません。

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