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地上において私たちに喜びを与え、天の永遠の幸福にまで導いてくれるものが三つあると常々説いてきました。すなわち、信仰と、召し出しと、貞潔。この三つに対しては、堅固で繊細、喜びに溢れて揺らぐことのない忠実を保たなければなりません。道の脇にある溝、つまり、官能や高慢などに足をとられたままになって起き直ろうともせず、自ら望んでその状態に甘んじるなら、キリストの愛に背を向けることになり、不幸になるほかはありません。

 重ねて申しますが、私たちは全員みじめな存在です。しかし、この惨めさによって神から遠ざかるのではなく、あたかも古代の戦士が甲冑に身を包んだように、神の愛に身を包みます。「お呼びになりましたので、わたしはここにおります26―わたしを頼りにしてください―」。これが私たちの防禦です。自分の脆さを知ったからといって神から離れるわけにはいきません。神は私たちを頼りにしておられるのですから、脆さに打ち勝たねばならないのです。

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