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ピンチに立たされたときのスポーツマンの目の輝きと、その後の素晴らしい勝利を見て心を打たれた経験が何度もあります。スポーツ選手がどのようにして困難を克服するかを見ましたか。それと同じように、私たちに主なる神は、私たちの戦いを見守り、喜んでくださいます。神が恩寵を拒むことは決してありませんから、すべては可能になり、私たちは常に勝利を得ることができるのです。戦うべき事柄自体は問題にならない、神は決して私たちをお見捨てになりませんから。

 貞潔とは、戦う態度であって、何かを放棄することではありません。貞潔とは、喜びに溢れた肯定、つまり、自由に、喜んで、神にすべてを捧げる姿勢のことです。罪と罪の機会を避けるだけで満足しているわけにはいきません。心のこもらない打算的、否定的な態度をとってはならないのです。貞潔は徳の一つですから、徳として成長させ、完成させるべきことは言うまでもないでしょう。各々が身分に応じて節制を保つだけでは不充分です。英雄的な努力をして、貞潔の徳を実行しなければなりません。こういう生き方をしようとすれば、神の要求を進んで受け入れる積極的な態度が必要になります。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」19。わが子よ、お前の心を差し出し、平和な私の畑に目をやりなさい。

 今、この戦いにどう対処していますか。最初の瞬間に戦っているなら、すでに勝ったも同然です。情欲の最初の火花を感じた瞬間、あるいはその前に、危険から遠ざかりなさい。それからすぐに、そのことを霊的指導者に打ち明けなさい。できるだけ早いうちに話す方がいいでしょう。思い切って心を開けば、敵に打ち負かされることは決してありません。一つひとつの行いが積もり積もって一つの習慣となり、傾きとなり、やがていとも簡単に実行できるまでになります。このようなわけで、徳と犠牲の習慣を身につけるため、また真の愛を拒絶しないためにも、とにかく戦わねばならないのです。

 聖パウロのテモテヘの勧めを黙想しましょう。「いつも潔白でいなさい」20。これは、私たちが常に警戒を怠らず、神から賜った宝を守る決意を固めるようにと勧める言葉です。「最初に断ち切っておけばよかった…」。大勢の人が悲しみにくれ、恥を忍んでこう叫ぶのを、私は今までに何度も耳にしてきました。

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