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貞潔でありうる

人はみな欲情をひきずって生きている。年齢の多少に関係なく、みな同じ困難に直面していますから、戦う必要のない人はいません。聖パウロの言葉を思い出してください。「思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました」16。サタンの使いが私を打つ、でなければ、高慢になるからです。

 神の助けがなければ、清い生活を送ることはできません。謙遜になって助けを願え、と神は仰せになります。さあ、今、言葉を口にすることなく、信頼をもって聖母にお願いしましょう。「お母さま、私の惨めな心は愚かにも反抗します。私を守ってくださらないと…」。 するとすぐに、聖母はあなたの心を汚れから守り、神がお呼びになった道を走ることのできるよう助けてくださるでしょう。

 皆さん、何にもまして謙遜の徳が必要です。どうすれば謙遜になることができるかについて学びましょう。神の愛を保つため、賢明にならなければならないのです。注意深く警戒しても、恐れに支配されてはなりません。大勢の古典書の霊的著作家と言われる人たちは、悪魔を鎖につながれた猛犬に喩えています。ひっきりなしに吠えたてても、こちらが近寄らない限り、犬は噛みつくことができない。もし謙遜になろうと努めるなら、悪の機会を避けることもでき、きっと大胆に、逃げる道を選ぶでしょう。毎日、天の助けによりすがり、愛する人の歩む道を毅然として進みます。

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