177

「実に、神のみ心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならない」12。霊魂と身体、肉と骨、感覚と能力ともども、私たちは神のものです。信頼し切って頼みなさい。「イエス、私たちの心をお守りください。大きくて強い心、若々しく優しく繊細な心で、あなたとすべての人への愛を保つことができますように」。

 私たちの体は聖なるもの、聖パウロの言葉を借りれば、「神の神殿」です。私は使徒のこの叫びを聞くとき、主がすべての人に向けてなさった聖性への普遍的な呼びかけを思い起こします。「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」13。例外なくすべての人に、恩寵には応えるべきであると、主は仰せになっています。自分の生活条件に応じて神の子に固有な徳を実行せよと、一人ひとりに言っておられるのです。

 ですから、キリスト者は完全に貞潔を守らねばならないと私が言うとき、完全な禁欲を実行しなければならない独身者、婚姻の義務を果たしつつも貞潔を守るべき既婚者を含め、例外なしにすべての人々のことを考えています。

 聖霊の助けがあれば、貞潔はわずらわしいものでも恥ずかしい重荷でもなくなります。貞潔こそ喜びに満ちた積極的な徳なのです。それは愛であり克己であり勝利であって、肉からのものでも本能からのものでもない。何よりも貞潔を守るという決意があってこそ実行できる徳です。本当に貞潔であるためには、単なる自制や慎みではなく、欲情を理性に服従させる必要がある。しかも、高い動機、つまり、神への愛ゆえにそうする必要があるのです。

 この徳は翼に喩えることができます。この翼のおかげで、私たちは世界中いたる所へ、泥まみれになるのを恐れずに、神の掟と教えを伝えに行くことができる。翼自体かなりの重荷には違いないが、雲さえ届かない高みにまで飛翔する雄々しい鳥も、翼なしに飛ぶことはできません。このことをしっかりと心に刻みつけておいてください。貞潔はとうてい担い切れない重荷であると思わせるような、誘惑の魔手に捕まらないようにしたいものです。さあ、頑張って、太陽を、神の愛を、目指して飛び発ちましょう。

この点を別の言語で