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「狐たちをつかまえてください、ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑は花盛りですから」21。小さなことに忠実でなければなりません。しかも、それは並の忠実さではなく極上のものでなくてはならないのです。忠実になる努力を重ねるなら、子として、全幅の信頼を込めて聖母の胸に馳せ寄るようになるでしょう。この祈りのはじめに、私たちが神と親しく付き合おうと決心してから、まだあまり時は経っていないと申し上げたことを憶えていらっしゃるでしょう。惨めで卑小な私たちが、偉大な母、いとも清い神の御母に近づくのは真に理にかなった態度です。神の御母は、私たちの母でもあるからです。

 もう一つ、逸話をお話ししましょう。本当にあったことですが、もう何十年も前のことですし、いま話しても差し障りはないでしょう。その人の表現が露骨であり、また、対照の妙を備えているので、考えを深める助けとなると思います。当時、私は色々な教区の司祭を対象とした黙想会を指導していました。彼らに関心をもち、愛を示して、一人ひとりを訪れて、司祭たちが心を打ち明けて、良心の重荷を下ろすよう仕向けました。私たち司祭もまた、他人の助言と支えを必要としているからです。私は一人と話を始めました。彼は少々粗野でしたが、高邁で誠実な性格の持ち主でした。心を傷つけないように注意しながら、言うべきことをはっきりと述べて、心を開いてあげようと試みてみました。その司祭が心にもつ傷ならどんなものでも癒してあげたかったからです。話の途中で彼は、私の言葉を遮って、およそ次のようなことを言いました。「私の牝ロバの奴が羨ましくてたまらない。そいつは私の小教区七代にわたって主任司祭に仕えてきた。そいつに関しては批判の余地がない。私も同じようにしておればよかった…」。

聖書への参照
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