144

イエスの模範

「新たに生まれたみどり児のように…」。嬉しいことに、ありとあらゆるところでこの神の子としての自覚を人々に伝えることができました。神の子としての自覚がしっかりしているなら、ミサ聖祭の典礼に取り入れられた次の言葉を深く味わうことができるでしょう。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです」7。言い換えれば、人々と社会に平和をもたらすための偉大な戦いにおいて、困難を克服し、勝利を得ることができるというのです。

 私たちの力と知恵は、神のみ前で、卑小で無に等しい自らの状態を悟るところから生まれます。ところで、無力を自覚すると同時に、全幅の信頼を込めて御ひとり子イエス・キリストを人々に告げ知らせよ、励ますのは神ご自身です。たとえ惨めさや失敗が目についても、弱さを克服するために弛まず戦いを続けながら、キリストを人々に知らせるよう努力しなければなりません。

「善を行うことを学べ」8という聖書の勧めを、私は何度も繰り返してきました。確かに、善の実行の仕方を学び、それを人々に教える必要があります。しかし、それにはまず自分から始めねばなりません。友人一人ひとりに、人々に、どのような善を望めばよいのか、いかなる善を施すべきであるかを見つける努力が要求されています。神は私たちの父であり、私たちは神の子であるという事実を、言葉で表現できなくても、単純な心で眺めながら、人々に仕える方法を学んでゆく―神の偉大さを考えるために、これに勝る道はないのではないでしょうか。

聖書への参照
この点を別の言語で