14

一九四〇年代の初め頃、私はよくバレンシア地方を訪れました。その頃は、人間的にみて、これといった手立ては何も持たず、今ここにいる皆さんと同じく、この哀れな司祭に付いてきた人たちと共に、その時々に見つかった場所、あるときには静かな浜辺で、ちょうど師キリストの最初の友人たちのように祈ったものです。覚えていますか。ルカがパウロと共にティルスを去ってエルサレムに上ろうとしたときのことを。「彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った」19。

 ある夕暮れ時、真っ赤に輝く西日に照らされて一艘の舟が岸に近づき、その舟から褐色の肌をした男たちが跳び下りてきました。水でびしょ濡れの上半身は裸で、プロンズ像と見まがうばかりに輝き、胸は岩のように厚い漁師たち。その漁師たちが、銀色に光る魚で溢れんばかりの網を引き揚げ始めました。足を砂に深く埋め、万力を込めて網を引いています。するとそこへ、これまた真っ黒に日焼けした子供が一人現れ、漁師たちに近づくと、ひょろひょろしながら小さい手で網を引き始めたのです。それが何の役にも立たないことは誰の目にも明らかでした。ところが、性情粗野で決して上品とは言えない漁師たちは、子供をみて優しい気持ちに負けたに違いありません。確かに足手まといになっているにも拘わらず、その子が手伝うのを追い払おうともせずに許したのです。

 その時、私は皆さん方と自分自身のことを考えました。当時はまだ知ることのなかった皆さんと私について、さらに、この網引きに似たような私たちの日々の行いについて色々と考えたのです。主なる神のみ前で私があの子供のように振舞うなら、また、自らの無力を知りながらも神の計画に手を貸す心構えをもっているなら、今より一層簡単に目的を達することができるだろう、獲物でいっぱいの網を岸に引き揚げることができるだろう、と思ったのです。人間の力の及ばない所にも、神の力が働くからです。

聖書への参照
この点を別の言語で