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償いの精神

  誠実な決心をするよう努めていますか。主への愛ゆえに嫌なことも喜んでできるよう、主の助けをお願いしましょう。何をするにも、さりげなく、清めのために犠牲の香りを添え、聖櫃のランプが燃え尽きるように、身を粉にして心静かに働いて主に仕えたいのです。心に呼びかける神に対して、具体的にどう応えるべきか思いつかないのなら、私の述べることによく耳を傾けてください。

 償いとは、たとえ、体が抵抗し、心が妄想のなかに逃げこもうとしても、決めた時間割を正確に守ること、決まった時刻に起き上がること、骨の折れる難しい仕事であっても理由なく遅らせずに果たすことです。

 神と隣人と自分に対する義務を果たすために、必要な時間を見つける努力、これも償いです。疲れや嫌気や冷淡な心であるにもかかわらず、祈りの時間になれば祈りをする。そうすれば、あなたは償いの人なのです。償いとは、自分の家族をはじめ、隣人と常に最高の愛徳をもって接すること、つまり、病人や悲嘆に打ちひしがれている人々を細やかな心でお世話し、都合の悪い時に訪れるうるさい人々を我慢して迎えることです。さらに人々の正当な必要を満たすため、快く計画を変更し、あるいは中止することも。

 日々出くわす幾多の小さな困難を快活に耐える、始めたときの熱意が薄れても任務を中途で放棄しない、出されたものをわがままに負けないで感謝の心でいただく、いずれも償いのわざです。両親や、一般に指導・教育の任に携わる人々の場合なら、必要な時に、主観や感傷をまじえずに、過ちの本質や当事者の状態を勘案しながら、過ちに陥った者を正すことが償いになります。

 償いの精神があれば、心を込めて描いた将来の大きな夢に、節度もなく執着することはないでしょう。線や色彩を加えることを神にお任せし、私たちが自分の落書きや下手な筆使いを避けるなら、どれほど喜んでくださることでしょう。

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