129

イエスは人々への愛ゆえに自らを燔祭としてお捧げになった。キリストの弟子であり神の愛し子、十字架の値で買われたあなたは、自らを捨てる覚悟をしなければならない。どのような状況にあっても、決して利己心や自己満足に陥ってはなりません。単刀直入に言えば、道楽者のような愚かな振舞いは許されないということです。「人々の尊敬を勝ち取るためにのみ汲々とし、人望を集め評判を高めんと熱望し、あるいは、愉快な生活だけを追い求めるなら、あなたは道に迷っている。苦しく、狭く、険しい道を通過した者にのみ天の国に入ることが許され、永遠に主と共に憩い、そして君臨することができるのだ」8。

 進んで十字架を担う決心が必要です。万一それができないのなら、口ではキリストに倣うと言いながら、行いではそれを否定することになり、師と親密に交わることも真実に主を愛することもできなくなります。この点についてなるべく早く、しかも深く理解しなければなりません。わがままや虚栄心を満足させ、安楽や歓心を誘う物を、自発的に捨てなければ、主の傍を歩むことはできない。犠牲という優雅な塩で味付けをしない日々があってはならないのです。万一、そんな生活は不幸だと思うようなことがあっても、そのような思いはすぐに捨ててください。自分の十字架を雄々しく担わず、自らに打ち勝つ努力もしないで、激情や軽薄さに引きずられてその支配に任せるなら、たとえ幸せだと思ったとしても、実に哀れとしか言いようがありません。

この点を別の言語で