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キリスト信者の

  キリストの教えは実に明白です。いつものように福音書を繙いてみましょう。マタイ福音書第十一章を開くと、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」4という言葉が目に入ります。お分かりでしょうか。私たちは唯一の模範であるイエスに教わらなければなりません。躓きや戸惑いを恐れずに前進したいのなら、主の歩まれた道を歩むほかはない。主のみ跡を一歩一歩踏みしめ、謙遜で忍耐強い聖心のうちに入り込み、主の命令と愛の泉から力を汲みとる。一言でいえば、イエスに同化するのです。兄弟である人々の中にあって、本当に<もう一人のキリスト>であると言えるようになるために努力しなければなりません。

 ごまかしでないことを確かめるために、マタイ福音書の他の箇所を読んでみましょう。第十六章を見ると、主は一層明確に教えておられます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」5。神への道は、放棄の道、犠牲と依託の道です。しかし、悲しみの道でも気弱な人の道でもありません。

 ベツレヘムのまぐさ桶からカルワリオの玉座に至るまで、道々キリストがお示しになった模範にもう一度目をやり、飢えや渇き、疲れや暑さ、睡魔や虐待、無理解や涙6など、あらゆる種類の窮乏を忍び、自己を放棄する主、そして、全人類の救いを思って喜ぶ主について黙想しましょう。「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」7。このように呼びかけた聖パウロの言葉を、心と精神に刻み込んでいただきたい。何度も黙想し、実行に移す努力をして欲しいのです。

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