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祈りを終えるに当たって、今日のミサで読んだ福音書の言葉に耳を傾けましょう。「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった」31。マリアの<浪費>くらい、物惜しみしない心を表すものはないでしょう。強欲なユダは勘定高く計算し、少なくとも「三百デナリオン」32に相当する香油がむだになったと嘆きました。

 本当に離脱しているなら、神と兄弟に対してすこぶる広い心を示すはずです。隣人の必要を満たすため、身を粉にして、すばやく対策を講じるはずなのです。キリスト信者たる者が、自分と家族の必要を満たすだけで満足しているわけにはゆきません。信者たる者の心の広さは、愛徳と正義に基づいて他人を助ける努力に表れるはずです。聖パウロは次のようにローマの人たちに書いています。「マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります」33と。

 限りなくすべてを捧げるほど寛大であった御方に対して、<けちけち>した態度をとらないようにしましょう。金銭的にも、真のキリスト者の名に値すると認めてもらうのはなかなか難しいものです。しかし、特に次のことを忘れないでください。「喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります」34。

 イエス・キリストの受難を間近に見ながら生きるこの聖週間中、聖母に倣って、これらの教えを心に留め、思い巡らす35ことのできるよう、マリアにお願いしましょう。

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