Josemaría Escrivá Obras
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日常生活では自らに厳しく接すべきです。自惚れや気紛れ、安楽や怠惰などに負けてはなりません。負けてしまうと、問題でない事を問題にし、必要でないものを必要であると考えてしまいます。歩みを阻む邪魔ものを取り除き、重荷をおろして、急ぎ足で主に近づかなければなりません。<心の貧しさ>とは、持たないことではなく、真の離脱のことですから、勝手な理由を作り上げて、仕方ないと諦めるがごとき自己欺瞞に陥らないよう注意しましょう。「必要な分だけを求めなさい。そして、それ以上は望まないように。必要以上のものは、ほっとさせてはくれない。それどころか苦しみのもとになる。奮起させるどころか、悲しくさせてしまうからである」29。

 一風変わった複雑な事情を想像して、このようなことを勧めているのではありません。神の現存を保つために、射祷を書いた紙片を、栞として使っていた人を知っていますが、そうこうするうちにその紙切れが宝物のように愛おしくなってきました。何でもない紙切れに愛着を感じていることに気づいたのです。大した徳の模範ですね!お役に立てるなら、私自身の惨めさをお見せすることにやぶさかではありません。いま少しだけお見せしました。おそらくあなたにも同じようなことがあるのではないかと思うからです。たとえば、あなたの本、服、机、あなたが執着する紛い物の数々。

 そのような時には、子供じみた気持ちになったり、小心にとらわれたりせずに、霊的指導者に相談してください。時によっては、短期間、ある物の使用を中止し、小さな犠牲として捧げるだけで充分でしょう。いつも利用している乗り物を一日使わなかったとしても、別に大したことではありませんから、わずかな額の乗車料金を献金することもできます。いずれにしても離脱の精神があるなら、その離脱の心を人目につかずに実行する機会を、絶えず見つけ出すことができるはずです。

 心を打ち明けたあとで、捨てるつもりの一切ない執着心を持っていることも白状すべきでしょう。それは、皆さんを心から愛している、ということです。この愛は神から教わりました。まず自分の周りからはじめて、すべての人を限りなく愛し、主の模範を忠実に実行するつもりです。「イエスの愛しておられた弟子」30という福音書の言葉には、イエスの愛が如実にあらわれています。主の熱烈な愛情を知って心を打たれずにいられるでしょうか。

 

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