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御父のみ旨を果たす主は、いわばその日暮らしをして、ご自分の教えを実行しておられました。「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。(…)野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」13。

 絶えず続く主の保護を深く信じ、神の摂理に厚く信頼して生きるなら、幾多の心配事や不安はなくなるでしょう。それだけでなく、イエスの言葉にあるように、超自然の見方のできない不信仰な人、「この世の異邦人」14が感じるような不安を心に抱くこともないはずです。友として、司祭として、また父としての信頼を込めて皆さんにお願いします。天においでになると同時に、心の内奥にも住まわれる慈しみ深い全能の御父、その御父のおかげで私たちは神の子となったこと、この事実を忘れないでください。必需品と思えるものからも離脱した心と楽観的な心があれば、日々の生活の営みを難しくするようなものは一つもないことを、しっかりと心に刻みつけてください。神は「わたしたちに何が必要かをご存じで」15、すべてを整えてくださいます。このような生き方以外には、神のお造りになった世界16に超然と接する態度を保つことはできないでしょう。神の子であることを忘れて、来るか来ないかわからない将来のことや、明日のことを思い煩うならば、たびたび陥る悲しむべき隷属状態を避けることができなくなってしまうからです。

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