107

謙遜と喜び

「人間がもつすべての邪悪から解放してください」27。ミサの本文は再び良い意味での <神化>について語ります。悪への傾きと共に人間の悪しき性質を示した後で、「あなたの光を送ってください」28、あなたの光と真理を送り、私を導き、あなたの聖なる山に連れて行ってくださいと嘆願します。この昇階誦を朗読すると深い感動を覚えずにはいられません。

 良い意味での<神化>を実現させるために、何をすべきでしょうか。福音書には「イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった」29と書いてあります。望みさえすれば敵を追い払うことができましたが、主はそうはせずに手立てを講じました。神であるキリストは思いのままに情況を変えることができたのに、ユダヤに行かず、私たちに良い教訓を残してくださいます。「イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい』」30。彼らは見世物的なことを望んでいたのでした。ここに、良い意味での<神化>と悪い意味での<神化>に関する教えのあることがお分かりでしょう。

 良い意味での<神化>は奉献文で歌われるように「み名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない」31と主に希望します。そして遜る人の喜びがあとに続きます。「貧しい人の叫びをお忘れになることはない」32と。

この点を別の言語で