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本日の書簡で、飢えたライオンの間に放り込まれたダニエルの話を読みました。そして、現代でも放たれたライオンが数多く歩き回っており、私たちはそのような環境の中で生きねばならないことを考えました。しかし、悲観するには及びません。一概に、昔は良かったとは言えません。いつの時代にも善と悪が混在しています。ライオンは貪り食う物を探し回っているのです。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」25。

 そのような猛獣をどのようにして避ければいいのでしょうか。ダニエルと同じようなことはぶん起こらないでしょう。私は、奇跡好きではありませんが、主の壮大な力には感服します。預言者の飢えを満たすために、食物を与えるか、あるいは食物のある所へ連れていく方が簡単であったことは確かです。しかしそうはせずに、食物を運ばせるために他の預言者ハバククをユダヤから奇跡的にお移しになりました。神は不思議な奇跡をしてもよいと思っておられたのです。ダニエルが井戸の中にいたのは、悪魔の信奉者たちの不正な仕業です。ダニエルは神の奉仕者、偶像の破壊者でもありました。

 人目を引き驚かせるようなことをしないで、キリスト者として平凡な生活を営み、平和と喜びの「種蒔き人」となって、無理解や不正や無知、また傲慢にも神に背を向ける自己満足などの偶像を倒さなければなりません。

 たとえ、生活環境があの飢えた獣のいる穴にいたダニエルよりもさらに酷い状態であっても、驚いたり、恐れたりはしないで欲しい。神のみ手は昔と変わりなく強力です。必要ならば驚くほどの奇跡さえなさることでしょう。忠実を保ちたいものです。キリストの教えに対しては、確たる自覚に基づいた喜びと心のこもった忠実を保ちましょう。現代が過去より悪くはないこと、主は昔どおりの力強い御方であることを信じて。

 私の知り合いの老司祭は自らの態度を評していつも、「平気、平気」と繰り返していました。私たちもいつもこの司祭のような姿勢を保ちたいものです。飢えたライオンに取り囲まれた世間にいても、平和を失わず、平気で平静、そして、必要ならば主はどんどん奇跡をなさることを決して忘れずに、愛と信仰と希望に生きるのです。

聖書への参照
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