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しかし、もっと現実的に考えなければなりません。述べたような高慢は幻想の中にだけ存在するものです。私たちは、もっと微妙でもっとたびたび起こる別の形の高慢に対して戦わねばなりません。隣人よりも自己を優先させる高慢、話しぶりや態度に表れる虚栄心、何の悪気もない隣人の言動に辱めを感じとる病的なほどの猜疑心、―これこそ私たちが戦いを挑むべき敵です。

 いずれも普通に見られる誘惑です。誰でも、自分を太陽のように、つまり周囲を取り巻くものの中心であるかのように考えてしまいます。すべてが自分を中心にして回らなければ気がすまず、人々が労わり可愛がってくれるよう、痛みや悲しみを訴え、果ては病気を装うまでになります。

 内的生活で出遭う困難の多くは、想像の所産と言えます。人はどう言っているだろうか、どう思うだろうか、私のことを考えてくれているのだろうか、などと考えてしまうのです。そして、その哀れな人は猜疑心を起こして、ありもしないことを疑い、哀れな思い上がりのために苦しむ。この厄介で不幸な状態に陥ると、苦々しい気持ちが続き、他人を不安に陥れようとやっきになります。謙遜にならないから、また神を愛するがゆえに寛大に自己を忘れて人々に仕えるすべを会得しなかったからです。

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