〈すべての栄光は神に〉。これは、私たちが無であることを端的に認める告白である。イエスはすべてである。イエスなしに、私たちには何の価値もない。無である。 私たちの虚栄は文字通り虚しい栄えに過ぎず、汚聖となる盗みである。〈自我は〉どこにも現れるべきではない。