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私たちは、動き、感じ、全く自由な意志を有する石、切り石である。

神ご自身は石工である。お望みのままに、金槌とたがねを打ちおろし、私たちの角を削り、形を整え、変えてくださる。

私たちは神のみ旨から離れたり、み旨を避けたりはしたくない。いずれにしても、衝撃は避け得ないからである。それどころか、もっとひどく、しかも無益に苦しむだろう。磨かれて建築に適した石になるかわりに、人びとに蔑まれ踏まれる砂利の山となるだけだろう。

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