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糾明は常に愛の行為、愛徳唱―神を愛するゆえの痛み―で終えるようにしなさい。それは、あなたのためであり、すべての人間の罪を悲しむための痛みである。そして、あなたが躓いて倒れないよう、邪魔物を取り除いてくださった神の親心についてよく考えなさい。

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