四終(死、審判、天国、地獄)

「今はお前たちの時、闇の力が支配する時である」。それなら、罪人に〈自分の時〉があるのだろうか。そう、あるのだ…。そして、神には神の永遠。

  あなたが使徒であるなら、死はあなたにとって道を容易にする良き友であろう。

  もの悲しい秋の夕べに枯葉の落ちるのを見たことがあるか。このように日毎、霊魂は永遠のかなたに落ちて行く。そしてある日、その枯葉はあなたなのだ。

  〈一日過ぎる毎に、一歩死に近づく〉。こういう風に、世俗的な人々が悲しそうに嘆くのを耳にしたことがあるだろう。

そこで、ひとこと言わせてほしい。使徒であるあなたは喜びなさい。一日過ぎる毎に、永遠の生命に一歩近づくのだから。

  〈他の人々〉にとって、死は、立ちすくませ、恐れをいだかせる現実である。一方、私たちにとって、死つまり永遠の生命は、元気を与え、励ましてくれる現実である。

死は、彼らにとっては終わりであり、私たちにとっては始まりである。

  死に対して恐れを抱かないように。今から広い心で…、神がお望みの時…、お望みの方法…、お望みの場所で…、あなたにお与えになる死を受け入れなさい。父なる神は、最も適した時、最も適した場所、最も適した方法で…、死をお送りになることを疑ってはならない。私たちの友なる死を喜んで受け入れることができるように。

私がいなくなったから、私が死んだからといって、世界のどこかに混乱が生じるだろうか。

  愛する人の遺体が、分解して悪臭を放つ液体になるのを知っているだろう。それこそ、あの美しかった体なのだ。よく考えて、結論を引き出しなさい。

  バルデース・レアルの描く司教やカラトラーバ騎士団員など、著名な人々の肉体が腐ってゆく絵をみれば、あなたは心を動かされないわけにはいかないだろう。

ところで、死ぬことのない主のほかには仕えまい、というガンディア公の嘆きについてはどうだろう。

(注)バルデース・レアル…スペインの画家。死を描いた絵は有名。

(注)ガンディア公…後の聖フランシスコ・デ・ボルハ。

  あなたは〈英雄的〉な死について話す。しかし、整ったベッドの上で誰にも気づかれずに、〈ブルジョア〉のように…、しかし、愛の病で死ぬほうが、もっと英雄的だとは思わないのだろうか。

  使徒であるなら、あなたは死ぬはずがない。住居を変える、それだけの話である。

  〈生者と死者を裁くために来られる〉と、使徒信条(クレド)で唱える。願わくはあなたが、主の審判とその正義、そして…、裁き主から目を離さないでいてくれればと思う。

  父なる神があなたを裁く時、満足してくださるように。このような望みが心のうちに燃え上がらないだろうか。

  世間的な人には、主の慈しみを思い出す傾向が強い。そうして、愚かな行いを元気よく続ける。

確かに、主なる神は無限に慈悲深い御方である。しかし同時に、無限に公正な御方でもある。さらに、審判があり、彼が、その裁判官なのである。

  元気を出しなさい。聖パウロがコリントの人たちに送った言葉を知らないのか。「各々の労苦に従って、その報いを受ける」。

  地獄は存在する。あなたにとって、こんなことは明々白々であろうが、もう一度繰り返す。地獄は存在する、と。

あなたはこの真理をあの同僚…、あるいはあの友人の耳元で、機会ある度に繰り返しなさい。

  科学に浸りきっている人よ、よく聴きなさい。あなたの学問をもってしても、実際に悪魔の働きがあることを否定してみせることはできない。私の母である聖なる教会は長年の間、司祭たちに毎日、祭壇のもとで聖ミカエルの助けを求め、「悪魔の兇悪な策略に打ち勝たせてください」と祈らせた。今も、この祈りは称賛すべき私的信心だと思う。

  天国。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する人々のために準備された」。

使徒パウロのこの啓示は、あなたを戦いに駆り立てないのだろうか。

  いつも、いつまでも。これは、楽しみを長引かせたい、永続させたいと渇望する人間が弄ぶ言葉である。

あらゆるものに終わりのある現世では、偽りの言葉である。

  この世のものは次々に終わってゆく。楽しみは始まらぬうちに終わってしまう。

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