内的戦い

  超自然的世界の素晴らしさを考えているとき、〈古い人〉の親密で媚びるようなもう一つの声が聞こえて来ても、心を乱さないように。

それは、〈死の肉体〉が失った権利を求めて叫んでいるのだ…。あなたには、神の恩寵(恩恵)だけで足りる。忠実でありなさい。そうすれば、打ち勝つだろう。

  世間と悪魔と肉体は詐欺師である。あなたの内にある野蛮の弱さをだしにして、―なんら値打ちのない―快楽という安っぽいビー玉と引き換えに、あなたの神の命ある贖いの御血にひたされた純金と真珠、ダイヤモンドとルビーをせしめようとする。それらはあなたの永遠の命という宝であり、その代償であるのに。

  別の身分、別の場所、ほかの地位や職業なら、お前はもっと立派なことができるだろうに。今のお前の仕事に才能などいらない…。こんなささやきが聞こえるというのか。

それでは言おう。自分が置かれたところで神をお喜ばせするのだ…。あなたが今まで考えてきたことは、明らかに悪魔の暗示である。

  聖体拝領が冷淡で無味乾燥だから、あなたは悩み悲しんでいる。答えてみなさい。聖体を拝領するとき、あなたは自分を求めているのか、それとも、イエスを求めているのか。万一、自分を求めているのなら、悲しむ理由はあなたにある…。当然ながら、キリストを求めているのなら、キリストに出会ったことを知るために、十字架よりもさらに確かなしるしを望んでも無駄ではないのか。

  また倒れた…。それに、なんとひどく…。失望するのか。いや、遜りなさい。そして、あなたの母・聖マリアを通して、イエスの慈しみ深い愛に助けを求めなさい。ミゼレレ(痛悔の祈り・詩編50)を唱えて元気を出しなさい。さあ、もう一度、始めるのだ。

  あなたはずいぶん深いところまで落ちてしまった。そのどん底から基礎工事を始めなさい。謙遜になるのだ。「打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。悔い改め遜った心を、神は軽んじられないだろう。

  あなたには神に反抗するつもりなどない。あなたの罪は弱さによるものだ。それは認めよう。ところで、その弱さは余りにもひんぱんに現れ、避けることができないようだから、悪く思わないでほしいと言われても、私は、あなたが悪く、愚かだと考えざるを得ない。

  罪の機会を徹底的に捨て去らない限り、あなたが望むと言っても実は望んでいないのと同じである。弱いからです…と私に言って、自分を欺こうなどと思ってはならない。あなたは…臆病なのだ。臆病と弱さは同じではない。

  まわりから攻めたてる誘惑や心の乱れ、まるで霊魂に目隠しをされたようだ。

あなたは暗闇の中にいる。自力で歩こうとしても倒れるだけだから、無理はやめて、あなたの指導者のもとへ行きなさい。大天使聖ラファエルが盲人トビアに言った、あの言葉を聞かせてくれるだろう。

「元気を出しなさい。間もなく神があなたをいやしてくださいます」。従いなさい。そうすれば、目から鱗が落ち、包帯もはずれる。そして、神はあなたを恩寵(恩恵)と平和で満たしてくださるだろう。

  どうすれば自分に打ち勝つことができるのか、分からないのですと、あなたはがっかりして手紙をくれた。それでは返事を書こう。ところであなたは、手段を講じてみたのだろうか。

  この世での不幸は、実は幸いである。貧しさ、涙、憎しみ、不正、不名誉…。あなたを強めてくださる方のおかげで、あなたにはすべてが可能なのである。

  あなたは苦しんでいる…しかし、嘆きたくはないらしい。哀れな肉体の自然な反応だから、嘆いてもかまわない。ただし、今も、いつも、神のお望みになることを望んでいなければならない。

  決して絶望してはならない。ラザロは死去し、腐っていた。「四日もたっていますから、もうにおいます」。葬られて四日目です、悪臭を放っていますと、マルタはイエスに告げる。

「ラザロ、出て来なさい」という神の霊感を聞いて、それに従うなら、あなたは再び〈生命〉を取り戻すだろう。

  辛い!というのか。そんなことは百も承知である。それでも、前進しなさい。報酬、しかもあの素晴らしい報酬を受けるのは、勇敢に戦う人だけである。

  あなたの霊的建物が揺れ動き、すべてが宙に浮いているように感じるなら…、子として全幅の信頼をもって、堅固で安全な岩であるイエスとマリアにすがりなさい。実は最初から、この岩の上に打ち立てるべきだったのだ。

今度の試練は長引く。たぶん―と言うより確かに―今まで試練によく耐えたとは、…言えない。人間的な慰めを求めていたからである。そこで父なる神は、ご自分以外には何も頼りにしないように、その慰めを根こそぎになさったのである。

  もうどうでもいいというのか。思い違いをしてはいけない。今この瞬間、あなたが神のために心にかけている人々や仕事のことを私が尋ねたなら、自分自身のことと同じく熱心に元気よく答えるだろうから。

どうでもいいということはないだろう。ただ、あなたも疲れることがあり…、もっと時間が必要なのである。そして、その時間はあなたの仕事のためにも役に立つ。なんと言っても、あなたは道具なのだから。

  胸のうちに、火と水、冷たさと熱がある。卑しい感情があり神もおられる…。聖ミカエルにも悪魔にも、ローソクを灯していると、あなたは言う。

安心しなさい。戦う気骨のある限り、胸のうちに灯っているのは、二本ではなく一本だけ、すなわち大天使のためだけである。

  抵抗する人々に対して、敵はたいてい決まった手を打つ。すなわち、偽善的に、物柔らかに…、霊的な動機を仄めかして、密やかに攻撃を仕掛けるのである。その後、もう解決策がなくなったかのように見える(本当はあるのだが)時、悪魔は厚かましくなる…。できればユダのように、痛悔させず、絶望に陥れようとするのである。

  あの人間的な慰めを失ったあなたは、暗黒の淵の上に細糸で吊り下げられているような孤独感にとりつかれている。そして、助けを求めるあなたの叫び声や喚き声は、誰にも届かないようだ。

そのように見捨てられたのも、自ら招いた結末である。謙遜になりなさい。自分のためを計ってはならない。自分の安楽を求めてはならない。十字架に耐えるだけでは足りないから、十字架を愛しなさい。そうすれば、主が祈りを聴き入れてくださるだろう。そこで、五感は静められ、心の傷は癒される。そしてあなたは安らぎを得るだろう。

  今のあなたは皮を剥がれた兎のように非常に敏感になっている。何もかもが能力と感覚を苦しめる。あなたにはすべてが…誘惑になる。

強調する。謙遜になりなさい。そうすればすぐに、そのような状態から抜け出すことができるだろう。そして、苦痛は喜びに、また、誘惑は揺るぎない確信に変わるだろう。

ただし、そうなるまでの間、あなたの信仰を強めなさい。心を希望で満たしなさい。たとえ口先だけだと思えても、愛徳唱を唱え続けなさい。

私たちの強さはすべて、借り物である。

私の神よ、日毎、私自身に対する信頼を失い、あなたへの信頼を増していきます。

  あなたが神を見捨てない限り、神があなたをお見捨てになることはない。

  万事をイエスに期待しなさい。あなたは何も持たず、何の価値もなく、何もできない。すべてを神にお任せするなら、主がお働きになるだろう。

  イエスよ、私はあなたのうちに憩います。

  常にあなたの神を信頼しなさい。神が戦いに敗れることはない。

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