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あなたが犠牲の利いた人でないなら、祈りの人になることはできない。
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あの的を射た言葉や冗談を控えたこと、厄介な人に対する微笑、根拠のない非難に対する沈黙、うるさい人や場所柄を弁えない人との心を込めた会話、共に生活する人たちの厄介で失礼な言動にこだわらないこと。こういうことを根気よく続けるなら、それは確かに堅固な内的犠牲になる。
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あの人には我慢ならないと言ってはいけない。あの人は私を聖化してくれると考えなさい。
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犠牲を払わずに実現できる理想はない。自己を否定しなさい。生贄となる。なんと麗しいことだろうか。
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神に仕えるため、幾度具体的な決心を立てたことか…。そして、哀れなあなたは、そのように簡単な決心さえ果たせなかったことを知って、幾度自分自身に対する憤りやもどかしさを捧げることで、我慢しなければならなかったことか。
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自分の判断を捨てる機会を逃さないようにしなさい。辛い…、しかし神の目には、なんと喜ばしいことか。
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孤独でみすぼらしく大した値打ちもない…粗末な十字架、しかもキリスト像もない。そんな十字架が目に入ったら、それこそ、あなたの十字架であることを思い出しなさい。日々の十字架、目立たず輝きも慰めもない十字架は、担い手を待っている。その担い手はあなたでなければならない。
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他人に犠牲をさせない犠牲を探しなさい。
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犠牲のないところに徳はない。
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内的な犠牲。あなたが、内的な犠牲を捧げていると言っても、感覚の犠牲を軽く考え、実行していないのなら、それは信じられない。
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哀れな現世においては、苦しみの杯の最後の一滴まで飲み干そう。たとえ十年、二十年、五十年…苦しむにしても、その後、いつまでも、いつまでも…、永久に続く天国に行けるのなら大した事ではない。
特に、〈報酬を得るため〉というよりも、もっと純粋な理由で、すなわち償いの心で十字架上のキリストとひとつになって、主なる神に慰めと喜びを差し上げるために苦しむのなら、一言でいうと、愛である方のために苦しむのなら…、かまわないではないか。
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目、そう、目から多くの邪悪が入ってくる。ダビデ王のような経験をした人は多い。目の慎みを守るなら、心の守りを固めたことになる。
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心の中に〈あなたの世界〉があるのに、なぜ外の世界を見つめなければならないのか。
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世間は華々しい犠牲だけを称える。隠れて静かに捧げられる犠牲の値打ちを知らないからである。
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自分のすべてを捧げ切るべきである。自分のすべてをことごとく否定すべきである。すなわち、犠牲は焼き尽くす燔祭でなければならない。
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逆説。〈永遠の生命を〉生きるためには死ななければならない。
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心は裏切り者である。七つの閂で心の戸締りをしておきなさい。
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神のもとへ導いてくれないものは皆、邪魔物である。引き抜いて遠くへ投げ捨ててしまいなさい。
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ある人は、直属の上司が怒りっぽく粗野な人だったが、神に促されてこう言っていた。感謝いたします。わが主よ。あなたはこの真に神的な宝物をくださいました。親切な行いをするたびに蹴り返すような人を、そう簡単に見つけることはできませんから。
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毎朝、最初の瞬間から自分に打ち勝ちなさい。決めた時刻に起床し、一分たりとも怠惰に負けてはならない。
そう、神の助けを得て自分に打ち勝てば、その日の仕事は大いに捗ったことになる。
前哨戦で負けたとなれば、勇気もくじけてしまうではないか。
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いつも敗戦の憂き目を見る。戦うごとに、特定の人の救いや聖性、その人の使徒職への召し出しのために…、戦いを捧げる決心をしなさい。そうすれば、私はあなたの勝利を確信できる。
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腑甲斐なく柔弱な態度を捨てなさい。今こそ、自分自身に対する、そんな奇妙な同情を捨て去る時である。
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この世に生きる人間にとって、何が宝物であるかを教えてあげるから、無駄にせず、活用しなさい。それは、飢え、渇き、暑さ、寒さ、苦しみ、不名誉、貧困、孤独、裏切り、中傷、牢獄などである。
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霊魂と体とは、互いに離れられない敵であり、互いに顔を合わせることのできない友であると言う人がいる。至言である。
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体には適量よりも控えめに与えなければならない。さもないと、体に裏切られてしまう。
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弱さと惨めさを見られたのなら、償いを見られてもかまわないではないか。
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これこそ犠牲を実行する人の結ぶ風味豊かな果実である。すなわち、他人の惨めさに対しては思いやりと寛容、そして、自己の惨めさに対しては一歩も譲らぬ厳しさ。
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一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。一粒の麦になる、すなわち犠牲を捧げて死に、粒のぎっしり詰まった麦の穂を実らせたいと、あなたは思わないのか。イエスがあなたの小麦畑を祝福してくださいますように。
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あなたは自分に勝てないし、犠牲も実行しない。傲慢だからである。償いの生活を送っていると言うのか。傲慢と償いとは両立しうることを忘れてはいけない…。他にも理由がある。失敗したときや寛大になれなかったときに感じる悲しみは、ほんとうの痛悔だろうか、それとも哀れで非力な自分を見せつけられたときに起こる苛立ちだろうか。たとえ自分の体に鞭を振るい、赤い薔薇の花を毎日のように咲かせても、謙遜でないなら、イエスから遠く離れたところにいることになる。
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201 |
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苦い胆汁と酢、灰の味と苦渋。口は渇いて粘っこくなり、ヒビだらけである。しかし、この身体的に嫌な気分も、あなたの霊魂の他の不快感と比べれば、何でもない。
実は、〈あなたはもっと多くを要求されている〉。それなのに、あなたはその要求に応えられない。このように不快な苦々しさは、できる限りのことをした後でも、体と霊魂に残るのだろうか。
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けちな態度と弱さに対する罰をすすんで自分に科するつもりか。よいことである。ところで、敵であり兄弟である者に科する分別のある償いであるように。
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哀れな人間の喜びは、たとえ超自然的な動機から求めたにしても、常に不快な後味を残す。何を期待していたのか。この世における苦しみは生活の塩なのである。
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大観衆の驚嘆に満ちた視線を浴びるなら十字架にかけられることも恐れないのに、毎日の針の一刺し一刺しさえ、キリスト者らしく耐えることのできない人間のなんと多いことか。考えてみなさい。どちらがすぐれて英雄的だろうか。
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あなたと私は、あの神の人の英雄的に平凡な生涯を読んでいた。朝食の時、幾年にもわたって戦っていたことが分かった。(あの人の特別糾明はなんと見事な明細書だろう)。 朝食の時、ある日は自分に勝った、その翌日は負けた…。「バターを摂らなかった…、バターを摂った…」と書き留めていたのである。
あなたも私もこのバターの〈悲劇〉を実行できたらいいのだが。
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英雄的瞬間。さあ、時間きっかり、起き上がる時刻だ。きっぱりと、心に一つ、超自然的な考えを浮かべ、さあ…、跳ね起きるのだ。英雄的瞬間。これこそ、意志を強め、あなたの気質を弱めることのない犠牲である。
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あなた自身に対して感じるその聖なる嫌悪感は、非常に特別な恵みであるから、感謝しなさい。
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