戦術

  あなたは使徒であり、周囲の人々の間では、湖に落ちた石である。あなたの模範と言葉で最初の波紋を描きなさい…。すると、その波紋がもう一つの波紋を生み…、また一つ…、さらに一つと波紋を生み出す。次々と広範囲に大きく広がってゆくのである。

今こそあなたの使命の偉大さが分かったのではないだろうか。

  世の中には自分の場から出たがる人がなんと多いことか。からだの骨や筋肉の一つひとつが、各自の場所とは異なるところを占めたいと望んだら、一体どうなることだろう。

世間でよく耳にする不満も、これと似たようなものだ。わが子よ、自分の場に留まりなさい。その場から、わが主の御国実現のために、どれだけ多くの貢献ができることか。

  リーダー。…神があなたをリーダーに相応しくしてくださるよう、あなたの意志を雄々しくしなさい。忌々しい秘密結社がどういうやり方をするか知らないのか。連中が大衆を自分たちの方へ引き寄せたことはなかった。自分たちの洞窟の中で幾人かの悪魔的な人間を育て上げ、扇動し、群衆を狂奔させた後で、付き従わせる。挙句の果てに、あらゆる無秩序の絶壁へと導き…、遂には地獄へ連れ去る。呪われた種を蒔き広めて行くのである。

あなたがその気にさえなれば…、尊さの極みである神の言葉を必ず広めることができるだろう。もし、あなたに物惜しみしない心があれば…、もし、あなたが聖人になるための努力をもって応えるならば、人々の聖性も実現し、〈すべての人を、ペトロと共に、マリアを通して、イエスのもとに〉導き、キリストのみ国を建設することができるだろう。

  黄金色の麦を大地に蒔き散らして腐らせるほど、愚かなことがあるだろうか。これほど愚かな寛大さがなければ、収穫は見込めない。

子よ、あなたの寛大さはどうだろうか。

  星のように煌きたい…、はるか高みを望み、天空で光り輝きたいのか。

むしろ、隠れた松明のように燃えて、触れるものすべてに火を点けるがよい。これがあなたの使徒職である。そのために、あなたはこの世にいるのである。

  敵の拡声器になるなんて、愚の骨頂だ。万一その敵が神の敵であれば、それこそ大きな罪である。だから私は、専門分野において、自らの知識を教会攻撃のために利用するような人間の学問を、絶対に称賛しない。

  駆け足、駆け足…。活動、活動…。熱狂、憑かれたような奔走…。外観は素晴らしく立派な建物…。

しかし霊的には、木箱の板、裏地の端切れ、塗りたくったダンボール…。狂奔また狂奔、活動また活動。大勢が右往左往して走り回る。

この瞬間だけを視野に、彼らは動いているのだ。いつも〈現在〉に〈留まっている〉。しかしあなたは…、永遠の目で物事を見るべきである。未来と過去を、〈現に〉考えながら。

落ち着き。平安。あなたの内的に強烈な生命。駆けずり回ることもなく、自分の場を変えるという愚かなことをせず、与えられた場にいながらも、強力な霊的発電機のように、光とエネルギーをなんと大勢に与えられることか…。しかも、自分の力と光を失わずに。

  敵を作ってはいけない。友人だけを持ちなさい。あなたに善いことをしてくれた人や善行をしたいと望んでいる人なら、右側の…友である。もし、あなたに害を与えた人や害を与えようとする人なら、あなたの左側の…友にしておけばよい。

  隣人の役に立たない限り、〈あなたの〉使徒職について細々と話さない方がよい。

  三十年間のイエスの生き方が人目を引かなかったように、あなたたちの献身も人目を引かないようにしなさい。

  アリマタヤのヨセフとニコデモは、平隠な時と勝利の時にはこっそりとイエスを訪れた。

しかし勇敢な彼らは、人々が臆病な態度を示した時、権力者を前にして〈大胆に〉キリストヘの愛を宣言したのであった。学びなさい。

  あなたたちの行いによって人々が〈あなたたちのことを知った〉としても、心配するには及ばない。それこそ、キリストのよき香りである。そのうえ、キリストのためだけを思って働いているのだから、聖書の言葉が実現していることを見て喜びなさい。「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめる」。

  イエスは、「公にではなく、密かに」エルサレムの仮庵祭に行かれた。

同じように、キリストはクレオパともう一人の弟子と共にエマオの道を行かれる。復活後、マグダラのマリアが見たイエスもそうであった。

奇跡的な大漁の時にも同じようになさったので、弟子たちはそれがイエスであることに気づかなかった。「弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」と、ヨハネが書いている。

そして、人々を愛するがゆえ、今はそれ以上に隠れた姿で、ホスチアのうちに留まっておられるのだ。

  壮大なビルを建設しているというのか。豪華な宮殿をこれ見よがしに造営している、と。建てさせておきなさい…。造らせておけばいい…。

大切なのは人々の霊魂である。あれこれのビルや宮殿を活かす人々の霊魂に、真に生き生きとした命を与えることである。

なんと素晴らしい建物が私たちを待っていることか。

  あなたが言ったことは分かりきったことだが、どんなに私を笑わせ、また考えさせたことか。「私は…釘を打つとき、必ず頭を叩いて打ち込む」と、あなたは言ったのだった。

  あの人やこの人との親しい語り合いや打ち明け話のほうが、何千人もの聴衆の前で見世物や興行物紛いの演説をするよりも、ずっと良い影響を与えることができる。それは賛成だ。

しかしながら、演説すべき時には、演説しなければならない。

  あなたたち各々が別々に努力をしても、効果は上がらない。キリストの愛を絆にして結束すれば、その効果に驚くだろう。

  殉教者になりたいのか。では、あなたの手近にある殉教を教えよう。それは、使徒であっても使徒と呼ばれないこと、使命を帯びた宣教師であっても宣教師と呼ばれないこと、神の人であってもこの世の人と思われること、つまり、隠れて過ごすことである。

  そんな馬鹿な。笑いものにしてやりなさい。そんなことは時代遅れだと言ってやりなさい。乗合馬車が…便利な交通機関だと信じるような人が未だにいるとは、嘘のような話である。そんなことは、埃まみれの鬘をつけたヴォルテール主義か、時代遅れとなった十九世紀の自由主義の蒸し返しを願ってやまない連中のものである。

(注)ヴォルテール主義…ヴォルテール(十八世紀)哲学、宗教的懐疑主義のこと。

  何とくだらなく、何と…汚らわしい話をするのだろう。だが、あなたは彼らと一緒に生活していかなければならない。職場で、大学で、手術室の中で…、つまり世の中で。

止めるようにと頼めば、笑い者にされる。不愉快な顔をすれば、おさら熱心に話す。あなたが席を外しても話を続ける。

解決策を教えよう。第一に、その人たちのために神に祈り、償いを捧げること。次に…、男らしく立ち向かい、〈毒舌の使徒職〉をすること。今度あなたに会ったら、耳元で、一連の言い方を聞かせてあげよう。

  青年期の〈摂理的な軽率〉を善い方向に誘導しよう。

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