使徒の獲得

  周囲で騒ぎまわる若者たちに、叫びたくならないだろうか。愚か者、心を萎縮させ、また、しばしば心を卑しくする世間的な事柄など…捨てておけ。私たちと共に愛なる御方の跡について行こうではないか。

  あなたには〈人を揺り動かす力〉が欠けている。だから、そんなにわずかの人しか惹き寄せられないのだ。キリストのために地上の物事を捨てるなら、どれほど多くを獲得できるか、あまり納得していないようだ。

比較してみなさい。この世では百倍、そして永遠の命。これがつまらない〈商売〉だと思うのだろうか。

「沖に漕ぎ出しなさい」。沖に乗り出すのだ。あなたを臆病にする悲観を追い払いなさい。「網を降ろして、漁をしなさい」。

 ペトロと同じように、あなたも言えるはずではないだろうか。「お言葉ですから、網を降ろします」。イエスよ、み名において、人々を探しましょう、と。

  使徒の獲得。これこそ、ほんものの熱意を持っていることの確かなしるしである。

  種を蒔く。「種を蒔く人が、種を蒔きに出た…」。あなたも使徒であるから、威勢よく種を蒔き散らしなさい。種の落ちた土がふさわしくなければ、恵みの風が種を運び去るだろう…。種を蒔きなさい。やがて根をはり、きっと実を結ぶだろうから。

  良い模範は良い種を蒔く。そして、愛徳はすべての人に種蒔きの義務を負わせる。

  万人の救いを熱望していないとすれば、あなたの愛は小さい。

あなたの狂気を他の使徒たちにも移し伝えたいと熱望しないとすれば、あなたの愛は貧弱である。

  あなたは自分の道がはっきり見えない。イエスのお側近くに付いて行かないから、暗闇の中にいて見えないことを、あなたは知っている。それなら、何をぐずぐずしているのか。決心しなさい。

  理由が必要だって…。一文無しのイグナチオは、学者ザベリオに、どんな理由を示したのだろう。

  あなたが驚くのは、もっともだと思う。神は、仕事中のあなたをお探しになったのだから。

それは、最初の第子たちを探しに行かれた時と同じである。ペトロやアンデレ、ヨハネやヤコブは網の傍らにいたし、マタイは収税所の椅子に腰かけていた…。

さらに驚くがよい。パウロは、熱心にキリスト者の種を絶滅させようしていた時だった。

  刈り入れは多いが、働き人は少ない。「だから、祈りなさい」。畑に働き人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈り求めなさい。

使徒を獲得するために、祈りほど効果的な方法は他にない。

  今も、神のあの叫び声が世界中になり響いている。「わたしは地上に火を投ずるためにきたのである。火がすでに燃えていたらと、どんなに望んでいることだろう」。それなのに見なさい、ほとんどの所で火は消えかかっている…。

それでもあなたは、炎々と燃え上がる火を移し広めようという気にならないのだろうか。

  あの学識豊かな人や、あの地位の高い人、あるいはあの賢明で徳の高い人を、あなたは使徒職に引き入れたがっている。

祈り、犠牲を捧げ、あなたの模範と言葉をもって、その人々に働きかけなさい。でも、やって来ない。心配するには及ばない。必要ではないからである。

ペトロの時代、最初の十二人の使徒職の対象となった人々の外に、学者や権力者、賢明な人や高徳の人がいなかったとでも思うのか。

  あなたは人々を道に引き寄せるための〈天分〉、〈魅力〉を備えていると聞いた。

その賜物を神に感謝しなさい。道具を引き寄せる道具になる。なんと素晴らしいことだろう。

私がこう叫ぶのを手伝ってほしい。イエスよ、人々を…、使徒となる人たちを、お送りください。あなたのため、あなたの栄光のためです。

必ず聴き入れてくださることが分かるだろう。

  ごらん、あそこに…、一人でも…二人でも、私たちのことをよく分かる人がいるのではないだろうか。

  話しなさい、そう…その人に。〈何にもまして〉イエス・キリストを愛する五十人が必要なのです、と。

  あなたのあの友達は、たびたび秘跡を受け、清い生活を送り、よく勉強する人だと言う。しかし、〈応じない〉。犠牲や使徒職の話をすると、悲しそうな顔をして、あなたから離れてしまう。

心配するな。あなたの熱意が無駄になったのではない。福音書の場面が文字通り繰り返されただけだ。イエスは仰せられた。「もし完全になりたいならば、あなたの持ち物を売り、貧しい人々に施しなさい」(犠牲)。「それから、私についてきなさい」(使徒職)。

あの若者も、「悲しそうに去って行った」。暗い表情をして離れて行った。恵みに応えようとしなかったからである。

「善い知らせがあります。また新たに〈狂人〉が一人…、網に入りました」。これは、喜びに躍り上がる〈漁師〉の手紙である。

願わくは、神があなたの網を〈効果で満たして〉くださいますように。

  使徒の獲得。自らの使徒職を永続させたいと渇望しない人などいるのだろうか。

  使徒を獲得したいという、自己を内側から食い尽すような熱意は、あなたが献身していることの確かなしるしである。

  覚えているだろうか。あなたと私は夕靄に包まれて祈っていた。近くには水のざわめきが聞こえていた。するとカスティーリャの町の静けさをぬって、まだキリストを知らないと苦しげに叫ぶ諸国民の、様々な言葉の声も聞こえてきた。

あなたはためらわずにキリストの十字架像に接吻し、使徒を漁する使徒となる恵みをイエスに願ったのだった。

(注)カスティーリャ…スペインの中部、カスティーリャ地方のこと。

  私はあなたの気持ちがよく分かる。あなたは自分の祖国や家族を深く愛している。そして、そのような断ち切りがたい絆があるにもかかわらず、数々の陸と海を越えて――はるか遠く――行く日を待ちこがれている。収穫を渇望するあまり、夜も眠れずに。

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