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神の愛より偉大な愛は他にない。
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もっとも慎ましいことも、もっとも屈辱的なことでも、立派なものにする秘訣は愛することである。
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幼児、病者。これら二つの言葉は、太字で書きたいような気持ちに駆られるのではなかろうか。
愛する人にとって、幼児と病者はキリストだからである。
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一生といっても、神にお捧げするには、あまりにもちっぽけなものだ。
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友は宝である。それなら…真の友キリストは…! あなたの富のあるところに、あなたの心もある。
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イエスはあなたの友である。最高の友である。あなたと同じ生身の心をお持ちである。ラザロのために涙を流す…優しい眼差しの持ち主である。
そして、ラザロを愛したように、あなたを愛しておられる。
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私の神よ、あなたをお愛しします。しかし、愛し方をお教えください。
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神の愛ゆえに罰する。これこそ、当然科すべき罰を超自然的なものへと高める秘訣である。
侮辱された神を愛する心から、罰が償いとなるよう、また神を愛するがゆえに隣人を愛する心から、罰が決して復讐とならず治療薬になるようにしなさい。
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私の神よ、どれほど愛してくださっているかを知りながら、私が愛に夢中になっていないなんて。
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理想のすべてはキリストにある。キリストは王であり愛、神であるから。
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主よ、すべてにおいて均衡と節度を保つことができますように。ただし、神の愛を除いて。
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この世では神の愛だけでなく人間の愛でさえ、これほどの慰めを与えるのなら、天国での神の愛の素晴らしさはどれほどだろう。
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すべて、神の愛のためにすることなら、より美しく、より高貴なものになる。
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イエスよ、私がすべてにおいて最後の者であり…、神への愛においては第一の者となりますように。
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神の正義を恐れてはならない。神にあっては、正義も慈しみも、ともに感嘆すべきもの、愛すべきものである。いずれも神の愛の現れである。
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地上にある最も美しく最も偉大なもの…、知恵と他の諸能力を喜ばせてくれるもの…、体と諸感覚を楽しませてくれるものを…想像してみなさい。
また、この世界と夜空に輝く他の世界、つまり宇宙全体に思いを馳せてみなさい。これらすべて、さらに、心が強い憧れを感じる途方もない夢の数々も…、私の神―あなたの神―と比べれば、無に等しい。というよりも無以下である。無限の宝物、真に高価な真珠、遜って奴隷の姿をとり馬小屋で生まれ、ヨセフの仕事場、受難と恥ずべき死去において…、さらに聖なるエウカリスチアにおいて愚かとも言えるほどの愛を示して、自らを無となさった神に比べるならば。
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神の愛を拠りどころにして生きなさい。そうすれば、たとえ負けることがあっても、あなたの内的なラス・ナバスとレパントの戦いにおいて、必ず勝利を得ることだろう。
(注)トローサのラス・ナバス。一二一二年にスペイン南部であった有名な戦い。イベリア半島のキリスト教王国がアンダルシアとアフリカ北部の回教徒に打ち勝った。
(注)レパント。一五七一年に地中海であったキリスト者とトルコ軍との戦い。キリスト者の戦略が勝利を収めた。
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神の恩寵(恩恵)のおかげで、敵のしかける罠から日毎救われていることを思い、あなたの心から神への愛と感謝がほとばしり出るに任せなさい。
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「主への畏れは清」いと、詩編にある。神を畏れることは、子の御父に対する敬いであって、決して奴隷の恐れではない。父である神は暴君ではないからである。
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神を愛する心から出る悲しみ。神は善い方だから。あなたのために命を捧げてくださった友であるから。あなたが持っている善いものはすべて神のものだから。何度も何度もあなたが神を侮辱したから…。そして、神はそれを赦してくださったから…。神が、あなたを、お赦しになったのだ。
わが子よ、泣きなさい、神の愛から生まれる悲しみの心で。
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私の生命を救うために死んでくれる人がいたとしたら…。神は死んでくださった。そして、私は無関心のまま。
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全く気が狂れている。あなたは司教館の小聖堂で一人きりと思っていたらしいが、私は見てしまった。あなたは聖別されたばかりのカリス(聖杯)とパテナ(聖体皿)一つひとつに口づけしていた。主が初めて〈お降り〉になるときに、あなたの口づけをお受けになるように。
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心の痛みは神の愛の試金石であることを忘れてはならない。
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