小心

  平和を奪い去る小心を退けなさい。心の平和を奪うようなものは神から来たものではない。

神の訪問を受けると、「あなたたちに平和を与える…、あなたたちに平和を残す…、あなたたちが平和であるように…」という挨拶の言葉が、苦難のさなかにあっても、ほんとうであると実感できるだろう。

  未だに小心(良心の咎め)に悩んでいるのか。それについて単純かつ明瞭に指導者に話しなさい。そして、従うのだ…。主のまことに慈しみ深い聖心を過小評価してはならない。

  悲しみ、意気消沈。私は驚かない。それはあなたの罪が舞い上げた土ぼこりである。しかし、もういいだろう。恩寵(恩恵)が風となって土ぼこりを遠く吹き飛ばしてくれたのではないのか。

さらに、あなたが悲しみを追い払わない限り、その悲しみは高慢の隠れ蓑になりうる。あなたは完全で罪を犯すことなどあり得ないと、本気で思っていたのだろうか。

  それについて、もう考えてはいけない。その代わり、あなたの霊魂を生き返らせてくださった神を賛美しなさい。

その罪については、それ以上考えてはならない。そんなことを考え続けていたら、重苦しさに打ちひしがれるだけでなく、容易に次の誘惑を招くことになる。キリストが赦してくださったのだから、古い人間については忘れてしまいなさい。

  がっかりしてはいけない。私はあなたの戦いぶりを見ていた…。今日の敗北は、最終的な勝利を得るための訓練なのだ。

  あなたは大変な失敗をしたけれども、立派に振る舞った…。立派に振る舞ったと言うのは、あなたは遜り、自らを正し、希望で心を満たしたから、またその希望のおかげで愛である御方のもとへ戻ることができたからである。そんなにびっくりした顔をしなくてもいい。立派に振る舞ったのだから。あなたは起き上がった。「起き上がれ」と、力強い声が再び響きわたり、「そして、歩きなさい」、さあ、働きなさい、と言われたからである。

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