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第二バチカン公会議の言葉を借りて申し上げますが、(聖体祭儀を行うとき)私たちは特に天上の教会の礼拝に最もよく結ばれています。第一に栄えある終生処女聖マリア、さらに聖ヨセフ、聖なる使徒、殉教者、諸聖人との交わりに結ばれ、彼らを記念し敬います。

 すべてのキリスト信者にお願いします。私たち司祭が聖なる犠牲を聖なる仕方で実現させることができるよう祈ってください。聖なるミサに濃やかな愛を示してください。司祭が皆さんの愛に動かされ、人間的超自然的な尊厳をもって優雅に、手入れの行き届いた祭服と典礼用具や器具を使い、信心を込めて急がずにミサをたてることのできるように助けてください。

 なぜ急ぐのでしょうか。恋人たちは大急ぎで分かれますか。彼らは分かれそうで分かれない。何度も戻って来てはありふれた言葉を今発見したかのように繰り返します。高貴で清い人間の愛を例に出して、神に関する事柄に当てはめてもかまいません。私たちは他の心を持ち合わせていないので、人の心で主を愛するわけですが、そうであるなら、神とのこの出会い、この愛の約束を急いで終らせてよいはずがありません。

 悠々としている人も居ます。お知らせと連絡を疲れ果ててしまうくらい続けるのです。ところが、聖なるミサの本質的な部分、固有の意味での犠牲の時が来ると、大急ぎで走る。こうして信者たちが、司祭であり犠牲であるキリストを信心深く礼拝することも、私たちのもとに再び来てくださった主に、拝領後、ゆっくり慌てずに感謝することもできなくさせるのです。

 ミサは、キリスト信者の心のうちにある愛情や望みを表すための最良の流れとなります。すなわち、聖霊において、キリストを通って、御父へと至る流れです。皆がこれを知り、そう生きるよう助けるのは司祭の義務です。聖体を愛し、敬うよう教える仕事に優先させるような活動はあり得ません。

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