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教会の人間的な要素と神的な要素

 キリストに人間性と神性があるのと同じように、教会の人間的な要素と神的な要素に言及することができます。その人間的な部分は誰の目にも明らかです。この世の教会は人間が構成する人間のための教会です。そして、人間といえば、自由、偉大さと卑しさ、英雄的な態度と卑屈な態度について話すことになります。

 万一、教会の人間的な面のみしか受け入れないなら、教会を理解することはできないでしょう。秘義の戸口にさえ近づくことができないからです。聖書は現世の経験から得た数々の喩えを使って、天の国そのものと、私たちの間での天の国、つまり教会の現存について説明しています。家畜を囲む棚や家畜の群れ、家、種、ぶどう畑、神が作物を植えたり建物を築いたりなさるというのが、喩えの中でも最も傑出した表現です。

「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆく」。聖パウロは次のようにも書いています。「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」。私たちの信仰はなんと輝かしいことでしょう。私たちは皆キリストのうちにいます。「御子はその体である教会の頭(である)」からです。

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