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全カトリック信者の使徒職への使命

 教会は、洗礼を受けてその懐に入った私たちを聖化します。自然の生命をもって生まれて間もなく、私たちはすでに聖化をもたらす恩恵を受けることができます。「一人の信仰は、そして教会全体の信仰なら尚更のこと、教会に一致をもたらし、一方の善を他方に伝える聖霊の働きによって幼児に恩恵を与える」。聖霊から付与され、教会に備わっているこの超自然の母性は真に素晴らしいとしか言いようがありません。「洗礼によって実現する霊的な再生は、ある意昧で体の誕生に似ている。母の胎内にいる子が自分で食物を摂取できず、母から栄養を摂るように、まだ理性の働きを持たず、母なる教会の胎内にいるがごとき状態の幼い子供は自分の力でではなく、教会の働きによって救いを得る」。

 教会の司祭的権能の偉大さが際立って見えます。ところでこの権能はキリストから直接に出るものです。「キリストはすべての司祭職の源である。旧約の司祭は前表であったが、『あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです』(2コリント2・10)と言うように、新約の司祭はキリストのペルソナにおいて働くのである」。

 神と人間の間の仲介役として救いをもたらす働きは、教会の中で、叙階の秘跡を通じて永続します。この秘跡は、固有な印章と恩恵の作用によって、すべての人のためにイエス・キリストの聖務者(役務者)として働くことができる司祭を作ります。「ある事柄についてある人にはでき、他の人にはできないと言うとき、それは悪か善かの違いに由来するのではなく、一方が所有し、他方が所有しない権能からくる問題である。それゆえ、信徒は個人的にいかに良い人間であっても、聖別する権能を受けていないわけだから、聖別を実現することができないのである」。

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